本日は「ジャッキー・ロビンソン」のご紹介。
アメリカの元プロ野球選手です。
1890年頃は人種差別が色濃く残り、MLB(メジャーリーグベースボール)では有色人種排除の方針が取られていました。
そんな時代背景がありながらも活躍し、高い障壁を乗り越えてみせました。
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なぜこの時代に黒人であった彼が第一線で活躍することができたのか。
そんな彼の人生と考え方を学んでいきましょう。
「ジャッキー・ロビンソン」とは
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アメリカジョージア州の貧しい家系に生まれ育ちます。
スポーツが全般的に得意であり、野球の他にサッカー、バスケット、陸上の4種で奨学金をもらい、学業生活を送りました。
その後は建設会社で働きながら野球を続けていきますが、第二次世界大戦終結とともにニグロリーグ(アフリカ系アメリカ人中心の野球リーグ)のトライアウトへ参加し、カンザスシティーモナークスでプロ野球選手となります。
様々な差別を受け、難しい環境にいながらもチーム内で首位打者となり、ついに名門ドジャースから声がかかります。
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当初は、対戦相手・ファン・チームメイトまでもが黒人がプレイすることを強く反対していました。
しかしこの四面楚歌の状況にも、理解あるオーナーや監督がルール改定や選手としての出場を認めていきます。
結果は期待を上回る圧倒的な成績と、どんな逆境にも紳士的に振る舞うジャッキーの姿を見て少しずつ世間の流れが変わっていきました。
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最終的には新人王、首位打者、盗塁王2回、MVP、オールスター出場6回というスーパースター選手となりました。
引退最終年も打率.275(メジャー通算打率.311)の優秀な成績を残しながらも移籍の話題が持ち上がると、
“ドジャース”に居られないなら”
と1957年に潔く引退しました。
「ジャッキー・ロビンソン」の名言
不可能の反対
不可能の反対は可能ではなく挑戦だ。
人生
他人の人生に影響を与えてこそ人生には意味がある。
一流
一流になれ。そうすれば物が言える。
まとめ
いかがだったでしょうか?
この活躍は野球界にとどまらず、あらゆるスポーツや垣根をこえた政治にまで人種差別問題が定義され、黒人が認められるきっかけとなります。
この野球成績に留まらない功績はジャッキーの背番号42を全球団共通の永久欠番とし、メジャー初出場した4/15を“ジャッキー・ロビンソンデー”とし、全球団が背番号42を着用し、毎年プレイします。
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偉人の名言を心に刻み、夢・人生・思考を整えてより良いものにしていきたいですね。